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2012年 05月 26日
![]() 東京都・奥多摩町、雲取山にて。 日食の前日。 山の頂上でローケーション・ハンティング。 天気予報では、微妙な様子。 夕焼けが綺麗なのが気になる。 得てして、夕焼けが綺麗な日は、西から天気が崩れる。 無信心な僕だが、文字通り天に祈りを捧げた。 2012年 05月 23日
![]() 長野県、軽井沢町にて。 塀の上の苔。リズミカル美しさだ。 軽井沢からしなの鉄道に乗って一つ目の駅、中軽井沢。 今、駅の改修工事が行われている。 地元で耳にした話。 新駅舎が完成の折には駅名を「沓掛」にする戻すという話が出ているらしい。 中軽井沢駅は、元々は「沓掛」という駅名だったが、やはり「軽井沢」のブランドを冠した駅名にしたかったのだろう。 もちろんこの辺りは軽井沢町なので、「中軽井沢」でも問題はない。 しかし、昔の地名を捨ててしまったのは寂しい。 だから、駅名を元に戻す話がでているのだろう。 もし、実現したらかなりの英断だ。 町村合併で付けられた市名は、どうも馴染めない。 嘘くさい名前、とでも言えばよいのだろうか。 広告代理店にでも案を出させそれを会議で決めた、そんな軽薄なニュアンスが漂う。 不動産屋さんで聞いた話。 家を選ぶ時、「谷」とか「川」の付いた地名は気をつけた方がいい。 そういう土地は地盤が弱く、基礎工事をキチンとした建物でないと危ないから、だそうだ。 そう、当たり前だが、地名はその場所を表す名前なのだ。 谷、端、沢、川、池、沼、窪、岸、瀬、潟、江、浦、浜、海、崎、島、野、木、森、原、台、岡、塚、岩、山・・・ これらはみな地形や自然で、その体を表し想像させる。 津、井、橋、堀、堤、室、寺、府、宮、城、宿、田、里・・・ これらは、人の営みや歴史と関係する名だ。 地名は、その土地の文化や自然を背負っている。 だから、そういった事とは無関係に、お洒落で聞こえのいい名前を付けても、どこか浮ついてしまう。 昔ながらの地名を大切にしたい。それは、単なるノスタルジーでは無い。 2012年 05月 21日
![]() ![]() 東京都・奥多摩町、雲取山にて。 太陽と月と地球が一直線に並ぶ、偶然。 その偶然の産物、金環日食。 東京で体験出来るのは、人間の一生という小さなスケールで計ると貴重な体験だという。 ならば、是が非でも見てみたいではないか。 東京の最高峰、雲取山。東京で一番空に近い所。 前日に撮影機材を担ぎ上げ、スタンバイ。 昨日の天気予報では望みが薄かったが、朝起きると晴れていた。 予定通り、太陽が月で欠け始める。 歓声が上がる。ほとんどの人は人生で初めての体験なのだから、無理もない。 少しずつ雲行きが怪しくなる。 金環食となった時点では、雲越しにリングが浮かび上がる。 最大食が終わると、少しずつ見物者は山を降り始める。 ひとり、またひとりと居なくなり、最後に僕ひとりとなる。 いつしか、いつもの日常に戻っていった。 ![]() ![]() ![]() 2012年 05月 19日
![]() ![]() ![]() 東京都・文京区、根津神社にて。 ゴールデンウィークが終わった頃。 ふと根津神社が、ツツジの名所だということを思い出した。 すこし小高い丘が神社の境内にあり、そこがツツジの庭園となっている。 出かけてみると、庭園の入り口のこんな看板が立っていた。 「お花も近くで見られるのは恥ずかしい状態です 外から名残だけご覧下さい」 どうやら見頃は終えたらしく、庭園には入れないようだ。 しかし、名残というわりには、まだまだ華やかな花を付けている。 外から望遠レンズで撮ったが、全然「恥ずかしく」ない。 満開の豪華絢爛を知る神社の人にとっては、「恥ずかしい」のだろうか。 庭園以外にも境内にはツツジの植木があり、そちらもまだまだ美しい。 朝方ということもあり、境内には近所の方とおぼしき人が犬の散歩に連れている程度で、閑散としている。 最盛期には屋台も出て賑わうそうだが、少し寂れた「恥ずかしい」趣きが僕には心地よかった。 2012年 05月 17日
![]() 群馬県・片品村、尾瀬にて。 山に囲まれた尾瀬の日暮れは、ほんの少し早い。 昼でもなく、夜でもない。 明るくないが、暗くもない。 日は沈んでいるが、日没ではない。 曖昧な時間が、そこにはあった。 確かに、木々の幹はシルエットにはならず、雪の照り返しでかすかな陰影を残していた。 忙しない、世の中。物事に白黒を付けたがる。 善か悪か、肯か否か、オンかオフか、そのほうが判りやすい。 しかし、短縮的に結論を出してしまうのは、一種の思考停止だろう。 結論を出してしまった時点で、それ以上の発展性はないから。 かのヘーゲルは、肯定(テーゼ)をつぼみ、否定(アンチテーゼ)を花、と喩えた。 そして、肯定と否定から導かれた考え方(アウフヘーベン)を実、と言った。 彼は、なかなかの詩人だと思う。 哲学を情緒あふれるイメージに、置き換えられるのだから。 明でもなく、暗でもない。自然は多様だ。 そして。 自然に森羅万象があるように、人間の思考にも森羅万象があるのだろう。
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