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2012年 01月 24日
神奈川県、鎌倉市にて。 海を望む高台。 そこには、使い道のない、行き止まりの電柱。 何処に電気を運んでいるのだろうか? 相当、昔に建てられたものだろう、今時、木の電柱は珍しい。 この先に人の暮らしがあり、何かの事情で家が取り壊されたのだろう。 今となっては、過去の栄光を知る電柱も、手持ちぶさただろう。 コダックの破産。 少し前のニュースになるが、昔からの写真好きにとっては、時代の流れを感じさせられるショッキングな出来事だった。 デジタルカメラの普及で、写真フィルムの販売が低迷した結果だという。 往年のライバル、富士フイルムは多角経営が功を奏し、業績が順調。 コダックは写真フィルム依存から脱却出来ず、危機に瀕してしまった。 経営者の先見性がなかった、と言える。 責めてばかりでは気の毒だ。少し、コダックを弁護してみよう。 写真フィルム製造は、いわゆる「装置産業」だ。 暗闇の中でフィルムの上に薄い乳剤を何層も塗布する、という高度な技術を有する設備がないと、成り立たない装置産業だ。そして、それには巨額の投資が必要だ。 最大手のコダックは、当然投資額も他メーカーと比べ、格段に多かったのだろう。 装置産業は、業績の良い時はスケールメリットを享受出来る。しかし、ドラスティックな変化が有った時、その装置=余剰資産がかえって足かせとなる。 これは、最大手ならではの苦悩だろう。 僕がデジタルカメラを買ったのは、8年ほど前。 デジタル一眼レフが、ようやく手に届く金額になった。 買った当初は、フィルムカメラと併用するつもりだった。 しかし、なんといってもデジタルは、お手軽だ。 フィルム代も現像代もかからない。撮影結果はすぐに確認出来る。 パソコンに取り込んでしまえば、検索も楽だ。 人間は、というよりも僕は、楽な方に流される性分なのだ。 白状してしまおう。 デジタル一眼を買ってから、一度もフィルムで写真を撮っていない。 それまでは、年間100本位はフィルムを使っていたのが、いきなり0本になる。 まさに、ドラスティックな変化と言えよう。 そんな人間が急激に増えるのだから、フィルム会社は堪らない。 だから、コダック破産のニュースを聞いた時、居た堪れない気分になった。 写真の楽しさを教えてもらった銀塩写真。本来なら足を向けて眠れない。 それを、いとも簡単に捨ててしまった申し訳なさが、僕にはある。 そして、楽で便利なデジタルに流れてしまったが、やはり銀塩写真ならではの良さは知っているつもりだし、その文化が衰退してしまう無念さは大きい。 もちろん、言葉だけで実践の伴わない「裏切り者」の僕には、それを言う資格はないのだが。 一時、モノクロの焼き付けに凝った時期があった。 モノクロ写真を自分で現像して、暗室で印画紙に焼き付ける。 現像を終え、定着液に印画紙を浸してユラユラと揺らしていると、今まで白かった印画紙からうっすらと像が浮かび、それがだんだん濃くなりクッキリとした写真となる。 「だんだん」というのが、とても神秘的なのだ。そう、無から有が生まれる神秘が、そこにはあった。 そんな神秘性は、デジタルにはない。もっと合理的で無機質な世界なのだ。 そもそも、「だんだん」などと悠長な時間感覚は、デジタルでは許されない。 それが、忙しない時代の要請でもあるからだ。 考えてみると、写真を趣味としている人間にとっては、ある意味、良い時代に生まれたなと思う。 最盛期の、技術的にも成熟した銀塩写真も体験できた。 デジタル技術が花開くのも、目のあたりにした。こちらは現在進行形だから、「している」が正しいか。 ともかく、その両方を楽しめる時代を生きていたのだから、幸せだろう。 今後、銀塩写真が主流に返り咲くことは、まずない。 でも、せめて細々でもいいから生き残って欲しい、と思う。 もし、老後に時間ができ、多少のお金があり、そして心に余裕があったらならば。 また、ユラユラと印画紙を揺らしたいと、想っている。
by small-talk
| 2012-01-24 22:30
| 首都圏
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Comments(14)
私もかつてはフィルムカメラを愛用していたのでコダックの
破産はショッキングなできごとでした。 フィルムが入っているのに蓋を開け慌てて閉めたり、現像に 出したフィルムが実は中で空回りしていたのか写っていなかったり、ASA(今はISOですか)の設定を間違えて露出がおかしか ったり、、、数々の失敗をしてきました。 モノクロの現像も経験してますが現像液の匂いが充満した 赤色灯の点いた薄暗い暗室が懐かしいです^^ 細々とでも残っていて欲しい文化ですが、、、
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kochira703 at 2012-01-25 14:34
写真の趣味はなかったのですが、若い頃や子育ての頃は、それなりに使っていました。でもだんだんと面倒になって、長い間写真を撮ることはありませんでした。
退職後にデジカメを手にしてからは、その手軽さで、 それとブログのために、毎日花を写しています。 私なんかはアナログ人間そのものだと思ってはいるのですが、それでもデジタル文化の恩恵にひたっているのです。 いろいろ考えさせられる、行き止まりの電柱の写真と文章でした。
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takeshi_kanazaw at 2012-01-25 14:54
妻殿のデジカメの中古カメラをいじったのが、私の趣味としての写真の出発点。
まったくフィルムへの感性がない。 よって、「裏切り者」 と貴兄が思うことに 面白さを感じてしまった。 聞くところによると、デジカメを一番最初に研究開発したのは コダック。 経営陣がそれを生かさなかったということらしい。 新しい事業部を立ち上げればよかったのに。 経営学でいう 「ポートフォリオ」 。金の成る木のフィルムは、時間の流れでやがて負け犬となり、問題児だったデジカメは スター となる。 へんなコメントですみませんでした。
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y_and_r_d at 2012-01-25 18:55
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small-talk at 2012-01-25 22:10
マングースさん、いらっしゃいませ。
そういえば、あの酢酸の匂いも、随分嗅いでいません。
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small-talk at 2012-01-25 22:13
kochira703さん、いらっしゃいませ。
僕もデジタルにどっぷり浸かっている人間ですが、写真の原点は銀塩写真です。だから、ここまで衰退してしまったことに、寂しさを覚えるのです。
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small-talk at 2012-01-25 22:14
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small-talk at 2012-01-25 22:16
y_and_r_dさん、いらっしゃいませ。
コダクロームは気難しいフィルムでしたが、上手く撮れた時はとても美しい描写をしました。
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rollingwest at 2012-01-26 06:26
写真愛好家の方にとってフィルムは大きな素材の一つだったのですから、深い造詣にもとづいた複雑な感情が表現されていますね。大幅衰退したアナログレコードもCD時代・ネット音楽時代を経ても、一部マニア(真の音の素晴らしさを味わえる真空管アンプマニアなど)の中では根強い支持を得ています。銀塩写真もデジタルにないよさを求めるファンは必ずいるでしょうから、生き残り再びその素晴らしさが評価されるのではないでしょうか。
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KawazuKiyoshi at 2012-01-26 17:11
コダック本社を訪れたとき
まるで宮殿のような荘厳な建物だったことを思い出します。 時代の変化とはこのようなものでしょうね。 LPがCDになって、それもどうなることか。 音楽も変わってしまうかもしれませんね。 今日もスマイル
50年くらい昔のことでしょうか。
フジは社内的には、「東洋のイーストマンたれ」と言っていました。 イーストマンの創業は、白熱電球誕生くらいの時代ですからね、伝統があるトップメーカーでは舵を切るのが大変だったことでしょう。 子供のとき、日本人は東洋人だから、生まれながらにイーストマンだと思いました。 祖父が写真館を営んでいたので、わたしは小学校のときから暗室作業を手伝っていました。 裏切り者という感覚はありますよ。
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small-talk at 2012-01-26 20:43
rollingwestさん、いらっしゃいませ。
モノクロ写真などのトーンは銀塩ならではなので、残って欲しいですよね。
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small-talk at 2012-01-26 20:45
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small-talk at 2012-01-26 20:48
iwamotoさん、いらっしゃいませ。
「東洋のイーストマン」とは洒落たフレーズですね。 この分だと、細々と生産しているメーカーを除くと、富士フイルム1社が世界の写真フィルムを担うことになるかもしれません。
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