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2014年 04月 29日
![]() 10年前の、東京都・檜原村にて コンピューターは便利だ。 写真のファイルを調べると、自分が何時、何処へ行ったのか、すぐ分かる。 デジタルカメラで撮った写真をコンピューターに保存しているからだ。 小まめに日記を付けている人ならば、コンピューターなどなくとも、分かるだろう。 でも、根っからの無精者の僕は、日記など無理だ。 写真のファイルは2004年4月29日から、始まっている。 ちょうど10年前の今日。 つまり、僕がデジタルカメラを買ってから、ちょうど10年経ったことになる。 その当時、ようやくデジタル一眼レフが、「普通の人」も買える値段になり始めた頃。 何を持って「普通の人」かの基準はない。 僕は写真が趣味だから、カメラの価格に対して、多少は寛容だ。 誰でも趣味に対しては、財布の紐が緩む。 たとえば、釣り竿の高いのなんて何十万円もする。 たかが、「棒切れ」なのに。 囲碁盤だって、凄いのになると1,000万円くらいする。 坪単価50万円ならば、3LDKの家が建てられる、そんな値段。 極論だが、趣味なんて、そんなものだ。 僕の買ったカメラは、その頃はまだ、メーカー希望価格なるものがあり、15万円だった。 量販店で買ったので、多少の値引きはあり、確か12万円くらいだったと思う。 1年ほど前の機種では、その倍くらいの価格だった。 一気に半額程度になった、いわば戦略的な価格。 実際、僕の買ったカメラはかなり売れたらしい。 12万円のカメラが安い、とはいえないかもしれない。 でも、少し背伸びをすれば買える値段だったのだろう。 そして、思えば、その頃を境にして、銀塩カメラの凋落が始まったのだった。 10年前のカメラは、今のカメラと比べると、スペック的には貧弱になってしまった。 たとえば、画素数は600万画素。 画素数だけで比べれば、今日のスマートフォンの内蔵カメラよりも少ない。 僕の手元には、もう、そのカメラはない。 何度かめの、新しいカメラを買う際に、少しでも足しになればと思い、売ってしまった。 でも、改めて撮った写真を見返すと、そう悪い画質でもないことに気が付く。 確かに、最新のカメラに比べれば、見劣りはする。 でも、それが、写真の表現に関わるほどのものなのかと、問われれば、否と答えざるを得ない。 それを薄々知りつつ、新しいカメラに買い換えるのは、愚かなのだろうか。 それとも、少しでも良い写真を撮りたいと思う純粋さなのか、単なる物欲のせいなのか。 時折、10年前に買ったカメラを、大事に使っている人を見かける。 懐かしく思う反面、なんとなく後ろめたさというか、引け目を感じるのだ。 ある時期、愛着を持ったカメラを捨てる、薄情者の自分に対し。 使わないから売ってしまったのだから、引け目を感じる必要はないかもしれない。 でも、合理的に割り切れないのが、人間というものなのだろう。 実は、捨てられないカメラがある。 デジタルカメラなど世にない時代、初めて買った一眼レフ。 思えば、10年以上フィルムを通していない。 時折、押し入れから取りだす。 思い出を共有した友人に再会したような、錯覚に陥る。 昔のカメラは、妙なコストダウンをしていないから、滑らかな動きだ。 ファインダーを覗き、空シャッターを切る。 まだ、壊れていない。 もっとも、壊れてしまっても、捨てられないと思う。
by small-talk
| 2014-04-29 20:50
| 東京の滝
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Comments(10)
10年前の写真が残っているのですか・・。
うーん・・・。 やっぱり写真を撮る人はこうあらねばいけない・・・・。 昔から名人は道具を愛するものだという。価格は別にしても、カメラへの愛着は当然かもしれませんね。 私はフィルム写真を撮ったことがないし、持っているデジカメも中古。 どうも道具への愛着が薄いことは、写真への熱が低い証拠かも。
先日、ちょっとした探し物をしていて、小学校時代のカノジョ(言い過ぎですが)の写真を
見つけました。 中学に入った頃と思われます。 50年以上前のものですね。 ちゃんとスタジオを借りて撮ってるのがわたしらしい(笑) これ、カメラは何だったのだろう。 デジカメは電気製品ですから、寿命は数年か、なんて考えてます。 エレキの世界はそんなもの。 デジタルでは特にそれが顕著ですね。 もうじき、シャッターも無くなるともっぱらの噂です。 良いカメラが欲しいですが、オモチャカメラでもわたし程度の写真なら問題無く撮れます。 それを実践しているつもりです。 道具の話は面白いですよね、大好きです。
10年前のデジタルの写真なんですね。
とても素敵な写真です。 下のつばくろもそうですが、small-talkさんの写真はきれいで明るくていいですね(^0^)
takeshi_kanazawさん、いらっしゃいませ。
なかなか捨てられませんね。 デジタルは小さなハードディスクに収まるから良いのですが、銀塩のフィルムなんて、押し入れを占拠しています。
iwamotoさん、いらっしゃいませ。
カメラが光学製品から家電製品に、なりつつありますよね。 電池がなくとも動くカメラを使っていた世代としては、寂しいです。
sho-m1228さん、いらっしゃいませ。
RAWで撮っておくと、最新の現像ソフトで蘇ります。 こういうところが、デジタルの面白さですね。
霧でしょうか、それとも雨に煙ってるのでしょうか・・・
マイナスイオンとフィトンチッドが溢れてるようです。 デジタル化に伴って生活に様々な変化がもたされました。 カメラも使い勝手がよくなったということなのでしょうね。 多くの人が持つようになりました。 デジタルとは一定の法則に則って数値化、符号化したデータのことだそうです。 よく解りませんが、狼煙、手旗信号、モールス信号もデジタルなのだそうです。 とてもそうとは思えません。 ますます解らなくなりました。(笑)
doronko-tonchanさん、いらっしゃいませ。
霧と雨、両方です(笑) 10年前の写真ですが、もうそんなに経ったのかと思ってしまいます。 ![]()
デジタルカメラを必要に迫られて、今頃になって購入しました。その前のフィルムカメラ歴が20年近くあると、フィルムでマニュアルでいかに自分の取りたい絵を作るか勉強したのが、デジタルだと明るさの問題なんて簡単に乗り越えられてしまうことに、嫉妬を覚えます。でも、フィルム売ってないし、ラボが少なくなってるし仕方ないのですかね。
small-talkさんは自分現像手焼きなんてのは、ご経験ありませんか? 私はプリント機が部屋の一部を占領しているせいか、どうしてもフィルムへの愛着離れがたく・・・。
マーシャさん、いらっしゃいませ。
返事が遅れて申し訳ありません。 僕も銀塩時代は、自家現像していました。 バライタ紙にを使い、今思えばずいぶん手間をかけていました。 焼き付けをやめたのは、引っ越しで部屋が変わり、窓が大きくなり、遮光カーテンでも光が漏れて暗室が確保出来なかったからです。 いつの日か、また銀塩モノクロを焼きたいですね。 でも、昨今の銀塩の衰退を目にすると、果たせぬ夢かもしれません。
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