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2016年 04月 18日
滋賀県・大津市、三井寺にて 天台寺門宗の総本山、三井寺。
宗祖は、円珍。 円珍は比叡山、つまり天台宗で修行した僧侶だ。 面白いのは、円珍は、真言宗の宗祖、空海の姪の子供(甥という説もある)なのである。 円珍が比叡山に登った時、空海は存命中。 当時、空海は、仏教界で大きな成功をおさめていた。 なぜ、親戚筋の空海の元ではなく、ある意味、ライバルの天台宗を選んだのか? その理由は定かではない。 しかし、天台宗、ひいては少しばかり、日本の歴史が、その選択によって変わることとなる。 円珍は、とても優秀な人だったという。 比叡山で修行し、その後、唐に渡り、密教を学ぶ。 帰国後、天台宗の最高位といえる天台座主まで、登りつめる。 そして、同時代に、三井寺を復興した。 当時、最新の密教の教えを取り入れた円珍は、従来よりも密教色が強かった。 従来派の比叡山と、円珍派。 教義の違いが、対立を生む。 円珍の死後、天台宗は二分し、比叡山と三井寺は敵対した。 当時の仏教界は、かなり過激だった。 敵対する寺を、焼き討ちしてしまう。 三井寺は、比叡山により、10数回、小さなものも含めれば、50回ほど、焼き討ちにあったという。 中々、執念深い、テロ行為である。 寺を守るために、警備することになる。 警備した寺を攻撃するため、さらなる武装化が進む。 僧兵の誕生だ。 余談だが、武蔵坊弁慶も比叡山の僧兵、という説もある。 その僧兵が、次第に、寺院が権力を持つ一因となる。 特に比叡山の軍事力は絶大で、数千人の僧兵を有していたという。 武家との抗争に備える意味もあるだろうが、おそらく、三井寺との対立が軍備拡張のキッカケだろう。 軍事力を持つと、唯我独尊となる。 力を背景に、朝廷や幕府に圧力をかけることもしばしば。 おまけに、比叡山は、京都と大津を隔てる脊梁山脈に位置する。 その気になれば、海上封鎖ならぬ、街道封鎖が可能な、地の利なのだ。 織田信長が、比叡山を再起不能とする焼き討ちを行ったのは、理に適っている。 逆に言えば、信長すら恐れていた権力だった。 比叡山に限らないが、寺院は少なからず、日本の政治に介入していた、のだろう。 ちなみに、織田信長は、比叡山の焼き討ちをする際、三井寺に本陣を構えたという。 敵の敵は、味方。 比叡山にほど近く、機密保持も万全。 本陣としては、打ってつけだったのだろう。 信長の後を継いだ秀吉が、刀狩りをする。 農民の一揆を阻止するとと同時に、寺院の軍事力を削ぐのも目的だったのだろう。 以後、日本の寺は、テロリスト集団ではなくなった。 きな臭い歴史も、500年以上経てば、その片鱗すら、感じさせない。 広い境内には、そろそろ春の装いが始まり、長閑な陽が差し込んでいた。
by small-talk
| 2016-04-18 21:00
| 近畿
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Comments(10)
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takeshi_kanazaw at 2016-04-18 21:46
ウーン、なかなか面白いお話を有難うございました。
貴兄は写真家であり、なかなかの歌詠みであり、かつまた歴史探求家でもあり・・・。 多能・多才さには脱帽ですね。
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kochira703 at 2016-04-18 23:09
昔の知り合いに、園城寺さんという方がいまして(笑)、その名を呼びながら三井寺も思い出すわけです。
ここへ行ったら、鐘を聞かなくてはね。 バルビゾン派のジャン-フランソワが日本へ来ていたなら、きっと三井寺を描いたことでしょう。
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arak_okano at 2016-04-19 06:48
お寺さんは怖かったですね、平和なお寺さんで、ゆっくり春を感じる、バグースです。
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small-talk at 2016-04-19 18:36
takeshi_kanazawさん、いらっしゃいませ。
僕は、行った後で興味が湧いて、調べるタイプなんですね。 でもって、ちゃんと見ておけば良かったのに、と後悔するのです。 今回も、これほどまでに、比叡山との確執があったのを、後で知りました。
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small-talk at 2016-04-19 18:39
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small-talk at 2016-04-19 18:45
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small-talk at 2016-04-19 18:57
arak_okanさん、いらっしゃいませ。
お寺によっては、その資本力を背景に、高利貸しや賭博、売春の斡旋などなどもしていたようですね。 胴元の差益を「寺銭」というくらいですから。 まあ、今なら、暴力団みたいな人たちです。
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small-talk at 2016-04-19 18:59
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