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2016年 11月 29日
![]() 月明かりの下の、岩礁に砕ける波。 コンピューター内を整理をしていて、見つけた写真だ。 見つけた、といっても僕が撮った写真なのだが、日付を見ると8年前で、記憶もおぼろげ。 眺めていたら、悪くない写真に思えてきた。 8年前の写真だから、8年以上前の、正確には11年前に発売されたカメラで撮っている。 1,000万画素の一眼レフ。 当時は、かなりの高画素機だった。 余談だが、世の中では画素の多いことを「高画素」という。 ちょっと変な言葉だと思う。 例えば、沢山の子供を産むことを「多産」といわずに「高産」というような感じ。 「多画素」のほうが、しっくりするのだが。 まあ、声高々に持論を展開すると、世間では「面倒な奴」だと思われる。 仕方ないので、長いものには巻かれ「高画素」ということにする。 2016年現在、1,000万画素のカメラは「超低画素」である。 今時、スマートフォン内蔵のカメラでも、2,000万画素くらいはある。 では、今のスマートフォンのほうが、10年以上前の一眼レフより画質が良いかと問われれば、否である。 専門的な話は避けるが、一眼レフは面積の大きな撮像素子なので、たくさんの光が取り込める。 少ない光をやりくりするのとは違い、無理がない。 画素が多いから高画質、とは一概に言えないのだ。 1,000万画素の写真は、どの程度、実用に耐えられるのか。 画素の数は、写真をどの程度大きく引き延ばせるか、という大まかな指標でもある。 キチンと撮った写真ならば、A3サイズ位ならば、大丈夫。 B3サイズでも、さほど問題はない。 慎重に引き延ばせば、おそらくA2サイズでも粗は目立たない。 つまり、世の中のに溢れる写真の需要の殆どを、カバーできる画素数なのだ。 ということは、大きく引き伸ばさないのなら、無意味に高画素にしないほうが良い、とも言える。 その分、他の性能に振り向けられ、バランスが良くなるだろう。 そんなことは、素人の僕が指摘するまでもなく、カメラやスマートフォンのメーカーは先刻承知であろう。 では、なぜ、画素数のインフレーションが起こるのか。 画素が多い方が売れる、とメーカーが踏んでいるからだろう。 お店に1,000万画素と2,000万画素のカメラが、並べられていたら、消費者はどちらを選ぶか。 やはり、細かく緻密に撮れそうな、2,000万画素を選ぶだろう。 画素を多くする弊害も、確かにある。 でも、とりあえず、数字の大小は分かりやすい「性能」。 それとも、何時かは大きく引き延ばせるという「夢」を買っているのか。 動物は無意味な、時として有害ですらある「必要以上」の装備を有することがある。 孔雀のオスは、美しい飾り羽を持つ。 美しい飾り羽は、栄養をキチンと摂れる、経済力の証でもある。 それに、孔雀のメスだって、イケメンと暮らしたい「夢」もあるのだろう。 だから、メスは美しいオスをパートナーに選び、そうでないオスは淘汰されてしまった。 でも、あの飾り羽は、飛ぶ時には邪魔になる。 ある意味、鳥としては致命的な欠点なのだが、それでも美しく進化してしまった。 人間の道具選びも、そのような傾向がある、と思う。 多少、弊害があったとしても、分かりやすい、夢を描きやすいモノを選ぶ。 孔雀のメスみたいに。 でも、それは果たして理性的なのだろうか? それとも、夢見ること、即ち、可能性を信じることが、真の理性なのだろうか? まあ、たかが、カメラの画素数で、こんな話をグダグダ書く僕は、やはり「面倒な奴」なのだが。
by small-talk
| 2016-11-29 20:00
| 首都圏
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Comments(8)
8年前の写真がいいじゃないですか。よく残っていましたね。
以前からシッカリ撮っておられたんですね。 私は画素数というのがイマイチよくわからない。 色を現わす粒子の数? 私の一眼レフは一体何画素なんだろうか・・・。 急きょ調べてみると、1,010万画素でした。 中古市場で買ったものですからね・・。 しかし、貴兄の写真を見ると、やっぱり腕じゃないですかね。 何度見直しても、今回もいい写真ですね・・・・。
takeshi_kanazawさん、いらっしゃいませ。
昔の、といっても数年前の機種ですと、中古だとかなり安く買えますよね。 実用度を考えると、かなりお得だと思います。
数字に表されると、シロウトは過剰なスペックの要求するものですね。
A&Vやクルマやカメラも。 確かに身の程以上の、いつか役に立つかもしれない夢なのかも。 前車は動画投稿サイトで、280km/hで走るところを見ましたが、日本では可能性のないことです。 250km/hを越えると100km/hのときには直線だった道路が急カーブになるんだとか。 想像はできますが、別に経験しなくて良いです。 200万画素あれば、blogの画像としては使えるという意見もあります。 セミコン関係の仕事もしていたので、4倍4倍4倍4倍・・・は経験してきました。 小さくすることは技術的にはわかりやすいですね。 でも、人の眼が1000万画素なら、違う方向へ力を注ぐ方が良い絵になりそう。 腕に自信が無ければ、過剰な数字を欲しがるのも理解出来ますが、基本的な写真の勉強に力を注いで欲しいものですね。 わたしたちは機械に対してでなく、自分に対して厳しくあるべきです(笑) 写真で一番大事なのは、何を撮るか、なのでしょうね。 何が撮るべきものかと判断する力です。
こんばんは。
すてきな写真ですね。 こんな作品が8年間も眠っていたのですね。 そのPCの中には相当なお宝が残っていそうですね。 画素数は気にしていませんが、比べると差はありますね。 これはPCで簡単に等倍で見られるせいでしょうね。 プリントではそれほどわからないと思います。
カメラのことは全然分からないから、
画素数が多いほど写真がきめ細やかな美しいものになりそうな気がします。 カメラを買う時に、大きく引き伸ばす「夢」はなかったけれど、 美しい写真が撮れそうな「幻想」を抱いたのですね、 オートにしてシャッター押すだけの私も(笑)
iwamotoさん、いらっしゃいませ。
このような駄文を書いていますが、僕もかなりスペックを気にします(笑) でも、それは「買うまで」なのですよね。 買ってからは、そんなに気にならないのが不思議ですよね。
dacha883さん、いらっしゃいませ。
デジタルは等倍表示で見てしまいますからね。 等倍表示でピントが来ていれば、今のカメラならば、幅1m位でも引き延ばせるのではないでしょうか。
kochira703さん、いらっしゃいませ。
kochira703さんは、撮りたい被写体が明確ですから、良い買い物なのではないでしょうか。 カメラを買うことが趣味、みたいなのが、ある意味、一番損な買い方です。 人それぞれですから、本人が満足していれば、良い買い物なのですが。
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